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感染症法の改正にともなう病原体等の管理規制に関する
日本ウイルス学会理事長からの意見表明


日本ウイルス学会理事長 野本明男
  

  


 1998年のニパウイルス脳炎、2000年の史上最大のエボラ出血熱アウトブレイク、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界流行、そして2003年から現在まで続いており、かつ新型インフルエンザへの進展が危惧されているH5N1亜型の鳥インフルエンザなどの感染症による人類への脅威は、近年枚挙の暇のないほど発生が続いている。これら新興感染症から人類を守るために多くの施設によって行われた研究により、これらの感染症の原因である新しいウイルスが発見され、またその予防治療法が開発されてきた。一方、2001年の米国における炭疽菌によるバイオテロ、SARSコロナウイルスの実験室感染とそれから地域の医療従事者や家族一般住民への感染事例などは、人類の脅威となる病原体を適切に扱い、保管をすることの重要性を示しており、近年の国際的なバイオセキュリティを強化しようという方向性も当然の帰結であるといえる。本邦においても、2006年末、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)の改正により病原体の管理および所持についての規制/基準が導入されていることは極めて重要なことである。
 
 感染症法は、その第一条に記述されているように、「感染症の発生予防、まん延の防止を図り、もって公衆衛生の向上及び増進を図ること」を目的としており、病原体の研究室からの流出を予防することを規定するのは当然のことであるが、一方、これら感染症対策と効果的な治療を支えているのは、膨大な基礎研究の積み重ねとそこから導き出された検査法と技術によって患者の診断を行う検査室、そしてそれらを評価検討する臨床ウイルス学的な研究であることを忘れてはならない。すなわち、感染症法はそれ自体が感染症研究を促進することもその重大な使命であり、決して検査研究活動を阻害するものであってはならない。まさに病原体の所持と保管の規制、そしてそれら病原体の診断と研究を促進するという、一見相反する2つの使命をあわせもっているのである。
 
 病原体、特にウイルスというものは、比較的短時間でその遺伝子を変異させ、変わりゆくものであることを考えれば、検査室や実験室において、比較すべきウイルス株を所持することは、患者の迅速で正確な診断、効果的な治療、そして予防法を開発するための研究にとって必要不可欠のものである。運搬が煩雑になれば患者の診断が遅れ、効果的な治療が遅れ、予防に支障をきたす。また、これらの所持の規制が過剰なものとなって施設に多大な負荷がかかれば、研究の立ち後れにつながる。検査診断において検体が陽性か陰性かの判断が困難な場合にも、過去のウイルスが保管されていればこれを用いて容易に比較検討ができる。研究上も、過去のものがなければ、どのように変異してきたかを検討することも不可能になり、その対策に大きな支障を来すことが予想される。従って、これまでは、異なる施設においては、異なる目的で、病原体を所持保管してきている。患者診断のための検査室、基礎研究のための研究室、治療薬やワクチンの開発のための研究室、治療法評価のための臨床的研究室など様々な目的をもち、それらで使用される病原体の量も実験操作も異なる状況であり、所持保管に関する一律の規制を適用することは過去の資産と経験の蓄積を消滅させる恐れがあり、感染症の診断と対策を後退させてしまうとの危惧を禁じ得ない。
 
 病原体の安全性は、物理的な封じ込めのみを考えた一律の所持と保管の規制だけで達成できるものではなく、その病原体所持と使用の目的、使用方法に応じて、その基準を議論することが必要である。同時に、病原体のリスクについての正確な知識を広め、病原体研究の意義の認識を深めることによって、国民全体の感染症に関する認識を底上げするとともに、段階的に安全な感染症研究のインフラの整備をすすめ、病原体を扱うものに対する十分なトレーニングが伴わなければならないと考えられる。今後の新たな感染症の発生に備えて、病原体を扱う基盤が整備されなければ、想定外の状況において病原体が拡散することも危惧される。これらの包括的な対策によって初めて、感染症法に基づく基準/規制は有効に機能し、本来の感染症法の目的である感染症の発生予防と感染症患者の適切な治療が可能となり、国民を感染症から守ることができるのである。 日本ウイルス学会としては、国民を感染症から守るためにも、法律により病原体の安全な保管の基準を作成することは極めて重要と考えるが、それとともに、全体の感染症対策を促進させるように、法律の細部についても十分に議論することを切に希望するものである。

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