第8章 遺伝子の変化

8−1:遺伝子の存在の認識

 我々は、或るものが存在するのかしないのかをどうやって認識しているのであろうか。我々の目に見えるものは、それだけで存在すると我々は理解する。

 しかし、よく考えると、「存在」の認識は「非存在」が認識されて始めて、その認識にいたる。

 日本人の目は黒い。これを決める遺伝子があるのかどうか。そのような疑問は、欧州人の青い目を見て始めて出てくる。SM 耐性遺伝子の存在はSM 感受性の菌と耐性菌があって始めてその認識に至る。

 遺伝学は、この様な「変りもの」にヒトが興味を持ったことから始まる。エジプトのスフィンクスはそういう興味から生まれた幻想ではないだろうか。実際、そのような興味は中世から盛んに行われた同種異種の動物と動物のかけあわせ、さらには遺伝学へとつながっていく(F. Jacob, Logique du vivant)。

 遺伝学は「変りもの」の学とも云える。遺伝学は従って変異株の分離に始まる。「変異株分離」と単なる「混じりものからの選択」をまず区別しなければならない。

 変異株の分離は遺伝的に均一な集団を得る処から始まる。画線培養によるコロニー分離はまさに遺伝的に均一な集団を得る為のものである。

 遺伝学において、研究対象の遺伝的均一性は最も重要な前提である。

 病巣から菌を分離し、何という菌による病気かを調べる菌の同定も一種の遺伝学である。2種の菌が混じっていては、同定は出来ない。Aの菌がlactoseを分解し(Lac)maltose 非分解(Mal)で、Bの菌が LacMalとする。もし、同定する菌がABの混じりであれば、結果は LacMalのAともBともつかない別のCという菌として同定されるであろう。

8−2:進化

 生物は生命が地上に生まれて以来進化を続け現在の多様な種の形成に至った、と考えられている。
 生物が進化を続けるには遺伝子が常に変る事が必要である、進化は「遺伝子のデタラメな変異」と、その時の環境に適した「生物の選択淘汰」によるとされている。

 進化とは、環境に生物が適応するように表現型を変え、これが遺伝し(云い換えると、表現型が逆に遺伝子を変え)、新しい種を形成する、と云うのが、いわゆるラマルキズムである。革命直後のロシアにおいて、ミチューリン、ルイセンコ等がこれに近い学説を唱え、スターリン政権に近付き、これを批判する Vavilov などの遺伝学者を追放、死に追いやった。

 上の議論に関係して細菌学でも同様な議論があった。いま、ストレプトマイシン(SM)に感受性の細菌を SM 存在下で飼育する。そうすると、SM耐性の菌が現れる。耐性菌は SM により誘導された変異なのか?或は、SM 存在如何によらずそのような変異が起こり、それを選択したのか?
 この疑問に対しなされた実験がDelbrückとLuria のfluctuation 試験である。
 SM 感受性の菌を 109 匹/ml 用意する。これを10匹/ml に希釈し 30 本の試験管に分注し、109 匹/ml迄増殖させる。これを、SM の入った寒天平板に1 ml づつ植えコロニーを作らせる(方法1)。片や、初めの109 匹 /ml の菌を1ml づつ 30 枚の SM入り寒天平板にうえる(方法2)(図8-2)。

図8-2

 もし、SM により耐性菌が誘導され、出来たのならいずれの方法でも SM 耐性菌の出現頻度分布は正規分布であろう(何故か?)。
 しかし、ランダムな変異とそれに引き続くSMによる変異であれば、方法1の方では平板あたりの SM 耐性菌の頻度は非常にばらつく(fluctuateする)筈である。(なぜか?:変異は培養の初期でも後期で同じ確率でおこる。方法1で分注したあと、変異が初期に起きれば、最終的にはその子孫は大きな部分を占め、後で起きれば、ごく小さい部分しか占めない。)
 結果は後者の方である。

8−3:点変異(point mutation)

 変異には、塩基が別の塩基に変ったり、或いは失われたりするような小さな変化と、もっと大きな遺伝子の変化、DNAの挿入、欠落、逆位などにわけられる。前者を点変異 point mutation という。

(1)点変異

 塩基置換:プリン(adenine, guanine)やピリミジン(cytosine, thymine)がそれぞれ別のプリン、ピリミジンに置き変るtransitionと、プリンがピリミジン、ピリミジンがプリンに置き変るtransversionとがある。
 蛋白コード領域の場合、アミノ酸の変化を伴う場合(多くはcodon の1、2番目の塩基置換)、伴わない場合(多くは codonの3番目の塩基置換)、停止 codon となり完全な蛋白が合成されない場合(nonsense mutation)がある。1塩基欠落あるいは挿入が起これば読み取りがずれる frame shift mutationとなる。

ser

tyr

gly

ser

cys

UCC

UAU

GGA

AGU

UGU

Deletion of C  ↓

UCU

AUG

GAA

GUU

ser

met

glu

val(shiftした読み取り)

 このような変異は色々な原因、例えば紫外線、X線、発ガン物質、などにより高い頻度で引き起こされる。

 しかし、普通のDNA 複製過程でも変異は起こる。DNA ポリメラーゼ III(Pol III)は、重合を行いつつ、同時にAT、 GCヌクレオチド のペアでない間違った重合を除く。即ち proof reading の機構を持っている。この機構が正常に働いている時に間違って塩基を重合する頻度は、1/1、000、000 程度である。

 proof reading で残された間違いは DNA ポリメラーゼ(Pol I)によるDNA 修復により直される。この時の誤りの頻度が 1/1,000 である。従って、DNA 複製でのエラーはほぼ 1/109 である。

 Pol I によるDNA 修復は複製の終った2重鎖 DNAを基質とする。この時、修復は誤って塩基を取り入れた新しく合成された鎖の側に起こらなければならない。親の鎖が間違った子の鎖に合うように直されてしまっては、変異がどんどん溜る。つまり、親 DNA のA:T ペアの誤った複製で A:G ペアが出来、Pol I による修復で C:Gとなっては困る。

 種として保存されるには、親の”正しい”鎖の方が残り、誤った子孫の鎖の方が修正される機構が必要である。

 親の鎖と子孫の鎖は、大腸菌とその近縁種では、DNA特定配列 のメチル化によっておこなわれる。親のDNA鎖 はメチル化されており、出来たばかりの DNA 鎖はメチル化されていない。修復はメチル化されていない鎖について起こる。従って、このメチル化酵素のない変異菌、dam の菌はいろんな遺伝子座において異常に変異頻度が高くなる。

図8-3-1

(2)復帰変異、reversion

 上に述べた様な変異菌は、2度目の変異により親株と同じ表現型に戻る(reversion という)。2つの型がある。一つは、正確にもとの配列に戻る場合である。もう1つは他の部分に変異が加わり親株と一見同じ表現型になる場合である。これを、サプレッション(suppression,抑制又は抑圧)と云う。

 ある蛋白をコードする遺伝子の中に翻訳停止シグナルが入るようなナンセンス変異の場合、suppressionの起こり方 には2種ある。

  1. tRNA の変異で stop codonを読めるような suppressor
    tRNAが出来た場合(図8-3-(1))。
  2. 同じ遺伝子の中で欠落変異部位より下流に出てくる stop     codonに塩基が挿入され、その間のアミノ酸の変化はあるものの、読み取りが快復する場合 intragenic suppression

(例)

ser tyr gly ser cys ile Ile ser
UCC UAU GGA AGU UGA AUA AUU UCU..
deletion of C    ↓
UCU AUG GAA GUU GUA UAA UUU CU..
ser met glu val val stop

insertion of U  ↓  

UUA AUU UCU
ser met glu val val leu Ile ser

(注意) stop codon はUAA, UAG, UGA ;すべてUで始まり、のある stop codon はない。

 

(3)Ames試験

 X線の様に変異を起こすものは発ガン性があることは長く気付かれていた。つまり、何等かの遺伝子に変異が起きるとがんになるのではないかという考えである。この考えの正しい事は、その後のがん遺伝子、がん抑制遺伝子の発見とその変異ががん化を起こす事が証明されることで裏付けられた。一方、社会では種々の物質による汚染ががん発生増加に結びつくのではないか懸念され、例えば食品添加物を市場に出す前に発がん検査をしなければならないと考えるようになった。そこで考え出されたのが変異原性テストである。発がん物質はそのままでは発がん性はなく宿主p450という肝のチトクローム系酵素で活性化され発がん性を発揮するものが多い。そこでBruce Amesはp450を含む肝の可溶性分画(S100)とテストサンプルを反応させ、サルモネラの点復帰変異誘導能を調べた。すると発がん性と変異原性がよく相関することが分かった。これがAmes Testである。現在もこの方法でスクリーニングしながら薬等の開発がなされている。がんセンターの杉村先生はこの様な変異原物質がアミノ酸を加熱したもの(焼き魚など)にも存在する事を見い出し、一般“自然”食品の発がん性を指摘された。これにより、主婦の発がん物質への過剰反応が急に衰えたのは面白い現象であった。

 

(4)SOS repair

 菌に紫外線(UV)をあてるとチミン dimer が出来る。これは excision repairにより除去される。

 しかし、これにより除去しきれない場合、誤りはあるがともかく DNA鎖を複製出来るようにするSOS系が動き出す(error prone repair)。

 即ち、UV 照射によりDNAが損傷を受け、その損傷DNAが recAを活性化する。活性化 recAは、その蛋白分解酵素活性によりLexA蛋白を壊す。その結果LexAで常時転写抑制を受けていた14もの遺伝子が一斉に転写を開始し、その中にあるSOS系がONになる。

 細胞の中で如何に損傷DNAの存在が認識され、それがどんな機構でrecAを活性化するのだろうか。現在の処、損傷により出来た一本鎖DNAがRecA蛋白に結合し、これを活性化すると、説明されている(図8-3-(2))。

図8-3-(2)

8−4:変異の発現

 古典的な遺伝学には2つの重要なステップがある。それは変異株分離による遺伝子の存在の認識とその遺伝子の染色体上の位置決定である。現在のゲノムプロジェクトはこれとは全く逆のアプローチと考えられる。つまり、まず、染色体の塩基配列をすべて決定し、その上で、各領域の機能を調べようとする。従って古典的遺伝学とは全く異なったアプローチとなる。

 処でDNAに変異が入った場合、直ちに変異が発現される訳ではない。一つはphenotypic lagと云われるもので、変異が入る迄既に作られていた蛋白が残存する事によるものである。他はsegregation lag と云われるものである。mRNAに相補的なDNA鎖に変異が入れば直ちに、蛋白の変異となって現れるが、それとは反対のDNA鎖に変異が入った場合は一度DNA複製が完了しmRNAに相補的なDNA鎖に変異が導入されないと変異の発現はない(図8-4上)。

 既に述べたが細菌の増殖が速い時には、DNA複製開始点に近い遺伝子は2コピー(diploid)となる事がある。これと真核細胞のdipoidyとの基本的な違いは何であろうか。

 前者においては変異が入った場合には必ず変異を持ったhomozygousな菌がsegregateして来る。後者では変異の入った染色体と変異の入らない染色体がheterozygoteとして一つの細胞内に維持される(図8-4下)。

図8-4

 

Copyright(C) 2005  The Japanese Society for Virology All Rights Reserved.