第27章:感染症新法とバイオセフテイー

 

 平成10年10月に、従来の伝染病予防法が改訂され、所謂感染症新法となった。正確な名称は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(法律114号)である。加えて施行規則(厚生省令第99号)が出された。又、告示として「感染症の予防の総合的な推進を図るための基本的な指針」(厚生省告示第115号)で法律の施行上の指針が示されている。
 この章では、この法律に基づく感染症対策を簡単にのべ、次に、一般の安全性議論と関係の深いバイオセフテイーについて考えてみる事とする。

27-1:感染症新法

 表27-1に感染症の分類を示す。1-3類感染症については、医療機関が指定されているので、患者の受け入れに当たっては、これに従わなければならない。しかし、第1-2類感染症であっても、診断がついてから病院に送られるケースは少ないと考えられる。従って、全ての病院で、常時、院内感染対策を機能させ、第1-2類感染を疑われる患者の取扱いの方針を病院として決めておく必要がある。

 これらの感染症に遭遇した場合の報告、及び臨床検体の流れについても規定があり、「感染症届け出の手引き」(日本公衆衛生協会、平成11年)に、報告基準、別記様式などが示されている。

 表27-1には感染症類分類と病原体実験室取扱いレベル分類(国立感染症研究所病原体等安全管理規定に準拠)の関係が示してある。原則的には、臨床検体検査は封じ込めレベルはBS2で行う、とされている。しかし、一旦診断がついた場合、或いは、高い封じ込めレベルの病原体が強く疑われる場合には、相当の取扱いが必要となる。

 表をよくみると一般病院での診療を可とする4類感染症の中に病原体はBS3扱いになっているものが少なくない。この様な病原体に感染した事が分かった患者の検体、特に血液など、をどう扱えばよいのか、一般病院にはその設備も必ずしもあるとは限らないので問題となる。又、多くの検体は市中の検査会社に外注されているので、この点も問題になる。

 新法では、1-4類感染症に加え新感染症と云うものが規定されている。「未知の感染症であって、その感染力や罹患した場合の重篤性から判断した危険性が極めて高い感染症であって、都道府県知事が厚生大臣から技術的指導・助言を受けながら個別に対応する」感染症とされている。病原体が未知の場合、エイズのケースを見れば分かるように、感染症と認識出来ないのが普通である。化学物質汚染が、一見、感染が広がって行くように見える事がある。結局、病原体が分からず感染症と断定する事は極めて困難なので、どの段階で感染症と認識できるのか疑問である。

 

 

表27-1:新法における感染症の分類

感染症類型

病原体実験室取扱いレベル分類

  BS4 BS3 BS2
1類感染症 エボラ出血熱
クリミアコンゴ出血熱
マールブルグ病
ラッサ熱
痘そう
重症急性呼吸器症候群(SARS)
ペスト
 
2類感染症     急性灰白随炎
コレラ
細菌性赤痢
ジフテリア
腸チフス
パラチフス
3類感染症     腸管出血性大腸菌感染症
4類感染症
 
  黄熱
Q熱
狂犬病
コクシジオイデス症
腎症候性出血熱
炭疸
ツツガムシ病
日本紅斑熱
ハンタウイルス肺症候群
Bウイルス病
ブルセラ症
発疹チフス
高病原性鳥インフルエンザ
ニパウイルス感染症
野兎病
リッサウイルス感染症
ウエストナイル熱
(ウエストナイル脳炎を含む)
エキノコックス症
オウム病
回帰熱
デング熱
日本脳炎
マラリア
ライム病
レジオネラ症
A型肝炎
E型肝炎
サル痘
レプトスピラ症
ボツリヌス症
(乳児ボツリヌス症から定義拡大)
5類感染症
(全数把握)
  後天性免疫不全症候群 アメーバ赤痢
急性ウイルス性肝炎(A型及びE型を除く)
クリプトスポリジウム症
クロイツフェルト・ヤコブ病
劇症型溶血性レンサ球菌感染症
ジアルジア症
髄膜炎菌性髄膜炎
先天性風疹症候群
梅毒
破傷風
バンコマイシン耐性腸球菌感染症
バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌感染症
急性脳炎(ウエストナイル脳炎及び日本脳炎を除く)
5類感染症定点把握を対象とする感染症(すべてBS2)
咽頭結膜炎、インフルエンザ(高病原性鳥インフルエンザを除く)、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎、感染性胃腸炎、急性出血性結膜炎、クラミジア肺炎(オウム病を除く)、細菌性髄膜炎、水痘、性器クラミジア感染症、性器ヘルペスウイルス感染症、成人麻疹、手足口病、伝染性紅斑、突発性発疹、百日咳、風疹、ペニシリン耐性肺炎球菌感染症、ヘルパンギーナ、マイコプラズマ肺炎、麻疹(成人麻疹を除く)、無菌性髄膜炎、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症、薬剤耐性緑膿菌感染症、流行性角結膜炎、流行性耳下腺炎、淋菌感染症、尖圭コンジローマ、RSウイルス感染症
 

27-2:バイオセフテイー(Biosafety)

 BS1-4の病原体取扱いレベルは、WHOのLaboratory Biosafety Manual (2nd Ed. 1993)を基本にし、各国で基準が作られている。我が国では、国立感染症研究所病原体等安全管理規定(平成11年)が汎用されている。

 各取扱いレベルは病原体のリスク度に対応し、例えば、リスクグループ1はバイオセフテイーレベルBS1、リスクグループ2はBS2、で扱われる。各リスクグループの定義は以下の通りである。

リスクグループ1

 

ヒト或いは動物に病気を起こす可能性の低い微生物。

リスクグループ2

 

ヒト或いは動物に病気を起こすが、実験者、その属する集団、家畜、環境に対して重大な災害を起こす可能性は殆どない。実験室感染で重篤感染を起こしても、有効な治療、予防法があり、感染の拡大も限られている。

リスクグループ3

 

ヒト或いは動物に通常重篤な病気を起こすが、普通ヒトからヒトへの伝染はない。有効な治療、予防法がある。

リスクグループ4

 

ヒト或いは動物に通常重篤な病気を起こし、容易にヒトからヒトへ直接或いは間接の感染を起こす。有効な治療、予防法は普通得られない。

 BS1-4の各バイオセフテイーレベルについては、詳細はWHOのマニュアルそのもの、「国立感染症研究所病原体安全管理マニュアル」或いは、「大学等における研究用微生物安全管理マニュアル(案)」(平成10年1月、学術審議会特定領域推進分科会、バイオサイエンス部会、関係法令が引用してある)を参照できる。

 BS3については、適切な実験室設計と安全キャビネットの使用、BS4については、BS3よりもより厳重な封じ込めが要求され、国等の管理下に於くことが求められている。動物を使用する実験と試験管の中でけの実験では要求される設備等も異なる筈で、実際同じバイオセフテイーレベルでも内容は異なる。

 1993年第2版:WHOガイドライン前文に、バイオセフテイーの基本的考え方が示されているので、以下に紹介する(抄訳)。

 微生物実験室のスタッフは、名前通り、感染性生物或いはそれらを含む或いは含む可能性のある物質を扱う。これらの微生物は、状況や量によっては、病気を起こしたり、或いは病気を起こす可能性を持つ。従って、安全に取り扱えること自体一つの技術であり、技術的卓越の証しとして、スタッフは誇ってよい。安全な取扱いは微生物学者自身、補助員、接触者を病気から守るだけでなく、微生物の交叉汚染により、実験が駄目になる事も防ぐ。

 国により、病原微生物の重要性や扱い方が異なる事、手に入る設備や資金、教育水準や訓練も異なり得る事を認識し、その上で基本的に使える指針にした。安全操作の為の設備がない所、或いは完全でない所でも使える重要な情報が示してある。

マニュアルは6つの主な部分からなる。
−基本的実験室デザイン、設備と種々のレベルでのバイオセフテイ。
−正しい微生物学的技術・手法
−実験室設備とその使用法
−化学物質、火災、電気に関する安全性確保
−安全確保の為の組織と訓練
−日常作業、並びに、技術導入の際に有用な安全チェックリスト

まずスタッフの教育訓練を丁寧にやる事が重要である。バイオセフテイキャビネット、その他の設備、決められた手順書等だけでは安全の確保は出来ない。使用者が十分理解して安全操作を行う事が必要である。安全設備装置は、正しい理解の下にデザインされ、設置され、維持され使用されていないと、その装置がある為かえって、安全性に関する誤った感覚を持ち、不注意になり、よりリスクを高める事となる。操作中常に油断せず自己点検すると共に、適切な監督が必要である。
 同時に、釣り合いのセンスが必要である。絶対的安全さと云うものは人生や仕事の何処の場所でも得られる事はありえない。正しく稼動している実験室は、特別に危険な仕事場ではない。桁外れに厳しい注意や物理的安全装置に過剰に依存してやり過ぎをする事はしてはならない。J.E.Whitehead博士は、「バイオセフテイの基本は、微生物学者と同時に微生物学者でない人々にも、正しい微生物学的扱い方を教え込むことにある」、と云っている。将に同感である。

 グラスゴウ大学感染症学名誉教授、前スコットランド、グラスゴウ
 Ruchill病院地域ウイルス研究所所長
 N.R.Grist

27-3:病原体検査を行う実験室の立地条件

 病原体検査を行う研究所等の立地条件に関しWHOが指針を出しているのか、と云う疑問がよくだされる。

 上記のWHOマニュアルには実験室に関する記載はあるものの立地条件の記載は特に見あたらない。次に示す"Safety in Health-Care Laboratories (WHO, 1997)" (15-16頁)にやや関係する部分があるので、その訳を示す。

実験室の建設

 保健・医療関係の実験室は病院の建物の中にあり、入院、外来患者と建物を共有して良い。又、病院等で独立した家屋でもよいし、大学、医学部、公衆衛生研究所のような研究や教育活動を行う建物の中にあってもよい。建物は普通の条件のみならず猛暑、大雨、洪水など極端な天候にも耐えるものでなくてはならない。同時に、自治体や国の建築法に則って設計建設されたものである事が必要である。特に、火災時の安全に関し、耐火構造と避難路を持つ必要がある。避難路については、建物内全員にとり適切なものであり、且つ、建物の何処に居ても利用出来るものでなくてはならない。火災発生の際、火災源から逃げる為に一つ以上の避難路のあることが望ましい。

 実験室業務に空間が必要であるが、これに加え、内部の環境は実験者にとって快適である必要がある。高温や高湿は避けるべきである。快適な内部環境を作り維持するには建物全体、或いは特別な部屋や空間の空調が必要となる。空調は設置維持ともに金がかかる。消極的な方法、例えば日除けで太陽光線を遮るとか、窓の場所を工夫するとか、外壁に穴を開け、冷たい空気を取り入れるのは安上がりの方法である。屋根の素材は熱を跳ね返し、熱容量、熱伝導の少ないものが良い。

 動物、鳥、昆虫の侵入については、可能な限り、窓や戸口には虫よけ網を付けるとか、下水等壁に穴の開いた処にはトラップを付けたり金網をつけるとかすると良い。

 使用済みのものは常に廃棄し、廃棄物保管場所は建物から離れている必要があり、この為、特別の設備を備えるべきである。

 建物の全体予算と使用経費は建物の形と大きさに依存する。土地さえあれば、一般に一階建ての方が安くつく。

実験室の場所

 実験室とその補助(ancillary)部分の相互、並びに、実験室と建物全体との相互の場所関係に考慮すべきである。

共通の機能を持っていたり、補助機能や機器を共有したりする実験室は一所にまとめ、設備の重複を避け、建物内を資材をもって動き廻るような事態を減らすべきである。

かさばった物品を定期的に受け取る場所は、その物品の受け取り場所かリフトの側であるべきである。

患者自身が来たり、検体を採取して貰ったり、検体を持って来たりしなければならない場合があるにしても、実験室は、可能な限り、患者の居るところや居住区、公共部分から離れているべきである。

実験室は他の場所へ行く通路そのものであったり、そこへの入り口に位置していたりしてはいけない。

高度封じ込め或いは高リスク実験室は、患者のいる場所や公共部分或いは人の行き来の激しい通路から離れて設置すべきである。

サービス部分は、実験室の業務の大きな妨げにならない様な場所に位置すべきである。

可燃性物質の使用により火災のリスクが高い実験室、例えば病理組織検査室は、患者や公共部分から離し、可燃性物質の保存も延焼を最小限に出来る場所に置くべきである。

 実験室の場所の条件の内、3番目と5番目の原文は以下の通りである。

-wherever possible laboratories should be sited away from patient, residential and public areas, although patients may have to attend and provide or deliver specimens;

-high-level containment or high risk laboratories should be located away from patient or public areas and from heavily-used circulation routes

 かって、patient, residential and public areasを「患者のいる地域、住宅地、公衆の集まる地域」と云う具合に訳し、「ある研究所の立地条件がWHO基準に合わない」と騒いだグループがいた。そもそも、「実験室は病院の建物の中にあり」で始まっており、「実験室の場所」の頭に「実験室と建物全体との相互場所関係に考慮すべきである」としているので、これら2項目のみを選び出し「住宅地」という訳をつけたのは誤訳以上の意図があったように思われる。

 国際基準などの議論をする場合、原文がどうなっているのか、contextとして云っている事が正しいか、英文だけでなくフランス語ではどうなっているのか、など検討しないと非常な誤解をする事がある。翻訳は、場合により、高度に政治的なものである。 

 

 
     

Copyright(C) 2005  The Japanese Society for Virology All Rights Reserved.